将門公ゆかりの地を訪ねて(18)〜延命寺(茨城県板東市岩井)〜

島広山の「石井の営所跡」から数百メートル南に、「島の薬師」として親しまれている延命寺がある。

 

案内板をそのまま転記させていただく。

 

延命寺は島広山の台上に石家営所(島広山)の鬼門除けとして建立された。天慶3年(940)藤原秀郷、平貞盛等に石井営所一帯を焼かれた時、薬師如来像は移し隠され、世の静まるのを待って現在の低湿地に祀られた、島の薬師として知られている。文安2年(1445)守谷城主相馬家が大檀那となって本堂、薬師堂、山門を建てたが、その後火災にあい山門だけが残った。薬師堂は有慶上人によって再建されたが、これも焼け、現在は仮堂である。延命寺の本尊「大日如来座像」は県の重要文化財に、山門、石製太鼓橋は市の重要文化財に指定されている。

 

なかなか立派な山門である。将門公の母は相馬氏につながる家の出であり、相馬氏は平将門の子孫を名乗ることから将門公ゆかりの寺の再建に力を貸したということだろう。相馬氏は後に下総相馬氏と奥州相馬氏に分かれたが、有名な相馬野馬追の起源は将門公の軍事訓練とされる。将門軍は騎馬戦に長け、瞬く間に板東8国府を掌握したのであった。

 

相馬野馬追は子供の頃、いわきに住んでいた時に見に行ったことがある。騎馬武者行列には三船敏郎がゲスト出演していた。知人宅の二階から見ていたところ、騎馬武者の一人(たぶん一杯やっていたのだろう)が「無礼者。上から見るとは何事だ!」と怒鳴った・・・と、この話は野馬追の話題になるたびに母から聞かされる。


ローカル路線バスの旅

週の真ん中、早引きして歯医者に行き、風呂に入って一杯やりながらバス旅を見ている。太川&蛭子の「ローカル路線バスの旅第13弾」・・・つまり再放送だ。ゴールデンアワーに再放送を放映してしまうのだからさすがテレ東だ。もちろん、この第13弾も見た。

最近あちこちの局でバス旅をやっているが元祖はこの太川&蛭子のバス旅だ。昔は水曜日といえば「いい旅夢気分」だった。残念ながら「いい旅」は年数回のスペシャル番組になってしまったが、今や各局でやっている旅番組の元祖のようなものである。「なんでも鑑定団」もまたしかり、テレ東のクリエイティビティーはすごい。そして各局が視聴率が下がって撤退したあとも粘り強く番組を続けている。そのサステイナビリティーもすばらしい。生まれ変わったらテレビ東京に入社したい。


個性派3本

将門公シリーズが続いたので、ここでちょっと一休み。

 

やなぎ妻がバレンタインデーに買ってきてくれた日本酒3本。

 

センター: FIRANDO  夢名酒(むめいしゅ) (長崎県平戸市・森酒造場)

潜伏キリシタンの生活を支えてきた春日集落の棚田米100%使用。「全く新しい味の日本酒」というとおり、知らずに飲んだら間違いなく「美味しい貴腐ワインだ!」とうなったことだろう。

 

左: 亀泉・純米吟醸原酒 (高知県土佐市・亀泉酒造)

濃厚にして微発泡、これ大好き。

 

右: 八海山・発泡にごり酒 (新潟県南魚沼市・八海酒造)

これは前にも飲んだことがある。今じわじわと人気が出ているスパークリング日本酒。ヤバいほどぐびぐびいってしまう。


将門公ゆかりの地を訪ねて(17)〜島広山(茨城県板東市岩井)〜

島広山(しまひろやま)は石井(いわい)営所跡といわれ、将門公が居を構えて政治・経済・軍事の拠点とした地と伝えられている。

島広山といっても台地状にこんもりしている程度で、記念公園のような土地の三方は住宅に、後方が田畑に囲まれていて、正直、いささか拍子抜けした。

しかし考えてみれば千年以上昔の、しかも敗者の足跡が、たとえ言い伝えであるにせよこうして残っていることが奇跡的であり、将門公が地元でいかに愛され続けたかを計り知ることができる。

碑文に昭和53年と刻まれている。NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」の放送は昭和51年だったから、その反響を受けて建立されたのだろう。あれから半世紀近く経ち、碑文もかなり読みづらくなってきている。吉川英治の「平の将門」あたりをもとにして、そろそろ大河に再登場させてはいかがだろう? NHK様!

 

将門公が最期を遂げたといわれる国王神社は、ここから直線距離で200〜300mの所。平貞盛・藤原秀郷軍4千に対して将門軍はたったの4百。本拠地を背に、必死の攻防が繰り広げられた様子が目に浮かぶ。


将門公ゆかりの地を訪ねて(16)〜石井の井戸(茨城県板東市岩井)〜

国王神社から南に数百メートル、台地の縁が田んぼに張り出したような所に「石井の井戸」という史跡公園がある。

現在、井戸自体はないがかつてはこのあたりから水がこんこんと湧き出していたのだろう。

昭和55年、当時の岩井市(現坂東市の中心)が設置した石造りの立派な案内板があるので、そのまま引用させていただく。

 

石井の井戸は、平将門公が、居館築造の地を探し求めて、島広の野を駆け巡るうちに、のどがかわいて困り果てていると、「水」と一声、東南の方に聞こえて、一人の老翁が立っていた。やがて傍らの大石をさし上げて、力一ぱい大地に打ち込むと妙味の水がこんこんとわき出した。不思議に思っているうちに、翁の姿はいずこかに消え去ったという。老翁を祀る一言明神と併せ、この石井の井戸は「岩井戸の宮」として、永く住民に尊びあがめられてきた。「いわい」をむかし「石井」と書いたのもこの井が中心を成したものといわれている。

 

 

近くには近くには「石井の井戸」伝説の老翁を祀った「一言神社」もある。ここからさほど遠くないお隣常総市に「一言主神社」という大きな神社があるが、そちらの祭神は一言主大神。一言神社とは関連がないようだが面白い偶然である。


将門公ゆかりの地を訪ねて(15)〜延命院将門山(茨城県板東市神田山)〜

国王神社から直線距離にして南南東へ約4.5kmの所に「神田山」という地名がある。「かどやま」と読むそうだ。

 

神田山交差点の南にある延命院。

天慶3年2月14日、平将門討死。将門公の首は京に送られ晒し首にされたが、胴体は密かにこの延命院境内に埋葬されたと伝えられている。

 

この地は相馬御厨(みくりや)の神領なので暴かれることなく今日に至っているそうだ。

 

将門公の胴体が埋葬されたというこんもりした塚はいくつかの呼び名がある。

「将門公胴塚」。

「将門山古墳」。

延命院の山号にもなっている「将門山」。

そして「神田山」。

 

この項の冒頭に紹介した「神田山」という地名の元になっているのがおそらくはこの「将門山」であり「将門公胴塚」なのだ。

 

実は神田山は「からだやま」であり、将門公の体(からだ)を葬ったことに由来するという説がある。「神田」の字を当てて真実を秘すためにあえて「かんだ」と読ませ、「ん」が脱落して「かだ」、さらに訛って現在の「かどやま」になったのかもしれない。否、「かもしれない」ではなく、そうであってほしい。「地名は歴史のタイムカプセル」とも「地名は歴史の案内人」ともいわれるが、地図大好き、歴史大好き人間はいわくありげな地名を見ると想像力を掻き立てられるのだ。

 

「南無阿弥陀仏」の碑は東京都の将門塚保存会から寄贈されたもの、「大威徳将門明王」の称号は延命院住職から贈られたものだそうである。

神田山の上には「決して侵すこと勿れ」と言うかの如くカヤの巨木が根を張っている。

 

不動堂。

不動堂を横から見ると社殿造りのようになっていて、正面の建物は拝殿で、弊殿を経て本殿に当たる部分が将門山(御神体)になっている。案内板がないので(たぶんあえて説明しないのだろう)断言はできないが、不動堂は将門公をお祀りするお堂であり、千年の長きにわたって将門公を愛してきた地元の人々の祈りの場に違いない。

訪れた2019年4月7日は折しも桜が満開だった。


将門公ゆかりの地を訪ねて(14)〜國王神社(茨城県板東市岩井)〜

今日、2月14日は平将門公の命日である。

 

茨城県坂東市岩井にある国王神社。

天慶3年(940)2月14日、将門公はこの地で討死したという。

 

 

天慶2年11月、常陸国府を焼き討ち。12月、下野国府、上野国府を攻略し、新皇と称して板東に新たな国の建設を宣言した。驚愕した朝廷は将門討伐の命を下し、全国の寺社に将門調伏を祈祷させた。その代表格が成田山新勝寺で、新勝寺の「勝」は将門への勝利を意味する生々しい名称だ。以前記したように千葉県我孫子市日秀地区では成田山を参拝しないが、ここ坂東市岩井でも間違いなく成田山詣ではしないだろう。

 

天慶3年2月、平貞盛、藤原秀郷は農繁期(田起こし)を前に兵を帰郷させていた将門の隙を突いて挙兵。貞盛・秀郷軍4000に対して400という劣勢で奮戦する中、突如風向きが変わり向かい風に将門の馬が立ち往生した瞬間、流れ矢が将門の右こめかみを撃った。2月14日未申の刻(午後3時頃)のことだった。NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で加藤剛演じる将門の最期は45年経った今も鮮明に蘇る。

 

天禄3年(972)、将門公の三女・如蔵尼が、父の33回忌に木座像を刻んでこの地に将門の霊を祀った。それが国王神社の始まりとされる。「国王」はもちろん祭神である平将門公。国王神社というのは奈良県十津川村にもあるが、祀られているのは南北朝時代の南朝・長慶天皇である。長慶天皇は賊徒に襲われ自害したと伝えられ、非業の死を遂げた点で両「国王」は相通ずるところがある。

 

拝殿入口に木座像の写真がある。罰当たりのような気がしたが撮影させて頂いた。

御神体の木座像は境内にある宝物蔵に収められている。

 

如蔵尼については奥州(福島県か)に落ち延びたと伝わっているが、千葉県柏市岩井にも伝説が残っている(当ブログ「将門公ゆかりの地を訪ねて〜龍光院地蔵堂〜」参照。右のcategoriesから「平将門」をクリックしてください)。

 

国王神社はこれで三回目で、2019年4月7日に訪れた。写真も記事も今日2020年2月14日のために温めておいたものです。これから先にUPする満開の桜はそういうわけですので悪しからず。そしてしばらくは将門公シリーズとなります。興味のない方はごめんなさい。


冬(春)の剪定

一日がかりでバラの剪定作業を行った。

 

風もなく穏やかな一日で、作業が捗った。

でも、切りたい位置に良い芽がないし、切ってみても枝が充実していないし・・・春の花はいまひとつかな?

作業しながらついついぼやいてしまう。

今日亡くなった野村克也さんが「ぼやきは理想と現実の差を表す」と言っていた。それほど高い理想は持っていないが、この春も理想とはほど遠い花になりそうだ。


賞梅

今朝の「趣味の園芸」で仕入れた知識。

 

開花した一輪を探しながら梅の木を眺めるのを「探梅」、満開の花を愛でるのを「賞梅」、散りゆく花を眺めるのを「送梅」というそうだ。

 

これはまさしく「賞梅」。

賞梅繁盛だ。

それにしても今朝は冷え込んでい。バラの剪定作業は明後日に延期しよう。


肩こりの原因は?

先週から歯医者通いをしている。そのせいか、やたらに肩がこる。

 

ノーアルコールビールで酔った気分になるのは、あの泡、あの色、あの味の液体は酔っ払うと脳が記憶しているからだと、先日テレビでやっていた。

 

歯医者であのキ=====ッという音を聞くだけで全身に力が入るのは、あの鋭い音の次には激痛がやってくると脳が記憶しているからに違いない。

 

「痛かったら左手をあげてください」と言われると、いつ襲ってくるかもしれない激痛を0.0001秒でも回避しようと身構え、なおさら肩がこるのである。

幸い、今日は痛くなかったが、その代償が強烈な肩こりだ。まあこの年になっても自前の歯が全部揃っていることに感謝しよう。



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