将門公ゆかりの地を訪ねて(3)〜将門神社(千葉県我孫子市日秀)〜

「かまくら道」を過ぎるとまもなく、「将門神社入口」「将門の井戸入口」という2つの案内板がある。

まずは将門神社をお参りしよう。

 

将門神社は旧日秀村の村社で、かつてはこのあたりに将門公が出城を築いたと伝えられている。

将門公が戦死した時、その霊が日秀の郷に現れ、「吾は平親王将門の魂である、今よりこの地に止まり村中の老幼を守るであろう」と言って消え失せたという。郷土史誌「湖北村誌」によれば、この地はかつて将門公が(一説には戦死直後にその霊が)朝日を拝した所だといい、将門公没後この地に一宇を建立しその霊を迎えたのがその起源といわれている。

昔は木造の社があったというが、長らく石の祠があるだけだった。高校生の頃に自転車でここを訪れて、鬱蒼とした森の中にぽつんと佇む祠に異様な霊気を感じ、逃げるようにその場を去った記憶がある。

一昨年の平成29年に日秀地区の人々によって拝殿が作られて、将門公にふさわしい立派な佇まいとなった。

拝殿上部に飾られているのは平氏の家紋のひとつである揚羽蝶紋。将門公の紋とされる九曜紋ではなく、あえて揚羽蝶紋にしたのは日秀の人々のこだわりだろうか。キュウリを輪切りにすると九曜紋にも似ているが、日秀地区の人々が忌み嫌う桔梗の紋にも似ている。

 

神社の傍らは断崖になっていて、眼下には手賀沼を干拓した田園風景が広がっている。


将門公ゆかりの地を訪ねて(2)〜日秀観音から将門神社へ(千葉県我孫子市日秀)〜

観音寺から市道を手賀沼方面へ向かう。

JR成田線の日秀踏切をわたると丁字路がある。

右の折れると「日秀西遺跡」がある。旧石器時代から、縄文、弥生、古墳、奈良、平安時代にかけての複合遺跡で、律令時代には相馬郡の郡衙(役所)があったと考えられている。

県立高校建設にあたり発掘調査が行われ、現在は県立湖北特別支援学校の敷地内に覆土保存されている。常陸国府(現茨城県石岡市)を終点とする古代東海道の於賦(おふ)駅もこの近辺にあったと推定されていて、下総国と常陸国の境に位置するこのあたりは交通・政治の要衝だったのではないだろうか。

 

丁字路に戻り10数メートルも進むと、うっかりすると通り過ぎてしまうような十字路がある。右手は狭い舗装道路、左手は未舗装の農道になっている。

ここが地元では「かまくら道」と言われている道路だ。

以前、この先の我孫子市布佐に「頼朝お手植えの松」という松があった。私が学生の頃はその何代目かの松があったが今はそれも枯れてしまったようである。

律令制の崩壊とともに古代東海道はその役割を終え、今となってはそのルートも定かではないが、もしかするとこのかまくら道は古代東海道の一部だったのかもしれない。

かつて平将門が馬を走らせ、その200年後に源頼朝が通ったかもしれない道を、さらに900年後の今こうして歩いていると思うと歴史ロマンを感じずにはいられない。


将門公ゆかりの地を訪ねて(1)〜日秀観音(千葉県我孫子市日秀)〜

茨城県南部から千葉県北西部にかけては平将門(903?〜940年)にまつわる地が数多く点在する。実家近くの我孫子市日秀もそのひとつだ。

 

日秀と書いて「ひびり」と読む。

 

将門公は幼少期をこの地で過ごしたという。手賀沼から将門公が馬に乗り、台地に駆け上って朝日を拝したところから「日出(ひいで)村」と称し、のちに「日秀村」となったと伝えられている。他に将門公の遺臣、日出弾正がこの地に隠棲したからとの説もあるようだ。

 

曹洞宗観音寺は、地元では「日秀観音」として親しまれている。寺の公式HPによると、観音寺としての創立は寛文2年(1662)とされるが、古くは将門神社(ここから500メートルほど南にある。後日紹介する予定)の境内に将門公の守本尊である観世音菩薩を安置する仏堂が営まれたのが始まりとされる。

観音様が祀られている観音堂。もとはかやぶき屋根だったようだが、今はトタンが巻かれている。お堂の中には極彩色の見事な彫り物が見える。

 

観音堂から見て左手前、国道356号と市道のT字路脇にお地蔵様が立っている。

通称「首曲がり地蔵(または首振り地蔵)」といって首をちょこんと西の方向に傾けている。前を走る国道356号線は別名、成田街道で東に進むと成田市だ。

成田といえば、成田山新勝寺。成田山は、新皇を名乗り朝廷と敵対した平将門を討伐するために朱雀天皇の命により都から不動明王が運ばれて護摩祈祷が行われた所だ。祈祷最後の21日目の2月14日に将門公は討ち取られたという。新勝寺の「勝」は将門に勝利したという意味で、生々しい名称なのだ。

 

お地蔵様はその成田山新勝寺に顔を背けているわけだ。日秀の人たちは今も成田山を参拝しない。これは日秀在住のもと同僚から聞いた話なので間違いない。彼女の話をさらに紹介すると、日秀の人たちは桔梗を忌み嫌う。愛妾だった桔梗の前の裏切りによって将門公が討たれたという伝説によるものだ。

 

将門公には七人の影武者がいて区別がつかなかったが、「本物の将門はこめかみが動く」と桔梗の前が敵に密告した(一説にはスパイ)。NHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」(1976年放送)では、露口茂さん演じる俵藤太(藤原秀郷)の放った矢が、加藤剛さん演じる将門のこめかみに当たり壮絶な最期を遂げた。

 

日秀地区では桔梗を植えない。キュウリも輪切りにしない。輪切りの断面が桔梗紋に似ているからだという(将門公の紋である九曜紋に似ており、畏れ多いからという説もある)。さらには山梨の銘菓、信玄餅も食べない。なぜだかおわかりだろうか。信玄餅を製造しているのは「桔梗屋」だからなのだ。これは彼女独自の拘りなのかもしれないが、ここに至って日秀が平将門公ゆかりの地であると確信するのである。

 

この記事は日秀・観音寺さんの公式HPを参考にさせていただきました。



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