将門公ゆかりの地を訪ねて(19)〜九重の桜(茨城県板東市岩井)〜

島広山・石井営所跡の近くに「九重(ここのえ)の桜」という史跡名勝がある。「石井の井戸」と同じように台地の縁が田んぼに突き出したような地形だ。

訪れた2019年4月7日、周辺のソメイヨシノは満開だったが、ここの九重(ちょっと韻を踏んでみた)の桜はまだつぼみが堅かった。かなりの遅咲きらしい。

ここにも石造りの立派な案内板があるので、そのまま転記させていただく。

 

九重というのは「王宮」「皇居」を表す言葉で、むかし中国の王城の門は、九重につくるならわしであり、それから生まれたものである。伝えよると、この桜は、京都御所の「紫宸殿」前の桜を株わけし、将門公ゆかりの地に植えたものといわれ、もと十数株群生していて、春になると単弁の白花が咲いて美しく、遠望すると白雲のようであったという。

 

株分けして植えたのか主語がないが、将門自身という説と猿島郡主平守明という説がある。での宮仕えに辟易した将門公がわざわざ忌まわしい記憶を持ち帰るとは考えにくく、ここは将門の末裔といわれる守明が偉大な先祖が王城を築こうとしたこの地に御所の桜を植えてその霊を慰めたのだと考えれば心情的にもすっきりする。

 

王城の地については「将門記」に次のような記述がある。天慶2年12月15日に上野国府を手中に収め、同月19日に新皇就任を宣言し板東8国の国司を任命したときのことである。

 

「王城を下総国の亭南に建つべし。兼ねて檥橋(ウキハシ)を以て号して京の山崎を為、相馬の郡大井の津を以て京の大津と為(セ)む。」(読み下し文:坂東市本将門記)

 

京の都を写そうとしていることがわかる。「檥橋」は比定地はいくつかあるらしいが不明。「大井の津」は当ブログでも紹介した手賀沼湖畔の柏市大井が有力候補。問題の王城だが・・・

 

これを語り始めると長くなるので、続きは次回に。


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