将門公ゆかりの地を訪ねて(1)〜日秀観音(千葉県我孫子市日秀)〜

茨城県南部から千葉県北西部にかけては平将門(903?〜940年)にまつわる地が数多く点在する。実家近くの我孫子市日秀もそのひとつだ。

 

日秀と書いて「ひびり」と読む。

 

将門公は幼少期をこの地で過ごしたという。手賀沼から将門公が馬に乗り、台地に駆け上って朝日を拝したところから「日出(ひいで)村」と称し、のちに「日秀村」となったと伝えられている。他に将門公の遺臣、日出弾正がこの地に隠棲したからとの説もあるようだ。

 

曹洞宗観音寺は、地元では「日秀観音」として親しまれている。寺の公式HPによると、観音寺としての創立は寛文2年(1662)とされるが、古くは将門神社(ここから500メートルほど南にある。後日紹介する予定)の境内に将門公の守本尊である観世音菩薩を安置する仏堂が営まれたのが始まりとされる。

観音様が祀られている観音堂。もとはかやぶき屋根だったようだが、今はトタンが巻かれている。お堂の中には極彩色の見事な彫り物が見える。

 

観音堂から見て左手前、国道356号と市道のT字路脇にお地蔵様が立っている。

通称「首曲がり地蔵(または首振り地蔵)」といって首をちょこんと西の方向に傾けている。前を走る国道356号線は別名、成田街道で東に進むと成田市だ。

成田といえば、成田山新勝寺。成田山は、新皇を名乗り朝廷と敵対した平将門を討伐するために朱雀天皇の命により都から不動明王が運ばれて護摩祈祷が行われた所だ。祈祷最後の21日目の2月14日に将門公は討ち取られたという。新勝寺の「勝」は将門に勝利したという意味で、生々しい名称なのだ。

 

お地蔵様はその成田山新勝寺に顔を背けているわけだ。日秀の人たちは今も成田山を参拝しない。これは日秀在住のもと同僚から聞いた話なので間違いない。彼女の話をさらに紹介すると、日秀の人たちは桔梗を忌み嫌う。愛妾だった桔梗の前の裏切りによって将門公が討たれたという伝説によるものだ。

 

将門公には七人の影武者がいて区別がつかなかったが、「本物の将門はこめかみが動く」と桔梗の前が敵に密告した(一説にはスパイ)。NHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」(1976年放送)では、露口茂さん演じる俵藤太(藤原秀郷)の放った矢が、加藤剛さん演じる将門のこめかみに当たり壮絶な最期を遂げた。

 

日秀地区では桔梗を植えない。キュウリも輪切りにしない。輪切りの断面が桔梗紋に似ているからだという(将門公の紋である九曜紋に似ており、畏れ多いからという説もある)。さらには山梨の銘菓、信玄餅も食べない。なぜだかおわかりだろうか。信玄餅を製造しているのは「桔梗屋」だからなのだ。これは彼女独自の拘りなのかもしれないが、ここに至って日秀が平将門公ゆかりの地であると確信するのである。

 

この記事は日秀・観音寺さんの公式HPを参考にさせていただきました。


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