古代東海道を行く(つもり)散歩(4)

 古代東海道を推定するときに決め手のひとつとなるのが先に述べた直線性で、その際参考になるのが明治時代に作られた迅速測図という地図だ。迅速測図を見ると石塔に「西 すはみち」と示されている西(おそらく北西)に向かう道路が描かれていない。「迅速」というくらいだから急いで作ったために描き落としてのかもしれないが取るに足らない細道だったのかもしれない。では成田山月参講中の石塔がいつ建てられたのかという疑問も残ってしまうが、道の交わり方からしても狐峠から廣幡八幡宮に通じる道はニッカ通りに優先する道路だったのはほぼ間違いないだろう。

 

上の写真右手がニッカウヰスキー柏工場の敷地

ニッカウヰスキー柏工場

 

廣幡八幡宮までのこの道は直線性といい、風情といい、こここそが古代東海道に違いない、あるいはそうであってほしいと思う道路である。

 

 

脇道と交わる辻々に道六神や山王権現、征清軍馬記念碑などの石塔が祀られていて、昔から大切な道だったことが窺える。

 

 

 直線道路の正面に荘厳な構えで鎮座するのが廣幡八幡宮(地図F地点)。御祭神は、誉田別命(15代応神天皇)・気長足姫命(神功皇后)・玉依姫命で、合祀による御祭神は、仲哀天皇・武内宿称の二柱。社伝によれば、第59代宇多天皇の御代「下総国第一鎮守宇多天皇勅願所」として創建されたと伝えられ、建久年間四年(1193年)後鳥羽天皇の御代に、柏市近郊一帯の総鎮守(守護神)として再び社殿が創建されたとある。宇多天皇の在位は887年から897年だから東海道がこのルートに付け替えられた頃と重なるかもしれない。

 


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