古代東海道を行く(つもり)散歩(3)

 

 住宅地の中を進むと道は二又に分かれ、真ん中に道祖神がたたずんでいる(地図B地点)。

 

 

今の主線は右に進むが、東海道は左の方だ。このあたりの字名は狐峠といい、この二又を境に左右どちらに進んでも下り坂になる。

 

 

 左の道を行くと程なく低地に出て視界が開ける。

 

 

このあたりが井上駅の次、茜津駅と推定される場所だ(地図C地点)。井上駅からの距離は約14.5kmで駅間30里とほぼ合致する。現在は手賀沼に注ぐ大津川が流れ、川沿いに田畑が広がっているが、古代においては手賀沼の入り江がここまで来ていたという。東海道はここで陸路と水路の両方が使われていた。次の於賦(おふ)駅の所在地と推定される我孫子市新木は手賀沼の北岸にあり、なるほどと思わせる説である。

 

ここは藤心(ふじごころ)というきれいな町名だが、古くからの要衝だったことは江戸時代に代官所が置かれていたことからもわかる。

 

 

陸路を行く東海道はここから再び台地を上る。

 

 

柏市史にははっきり示されていないが、その道は「ニッカ通り」と名付けられている主要市道ではなく、先ほどの狐峠からこの先の廣幡八幡宮に通じる直線道路との連続性を考えると、住宅地の中を抜ける道ではないだろうか(地図D地点)。

 

 

住宅地を抜けると道は静かな林の中に入っていく。初めに疑問を感じて古代東海道を調べるきっかけになった十字路(地図E地点)はこの先だ。


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